エンペラータイムッ!!
蜜柑☆でっす!
昨日は修論発表会でした。
いや~、先輩方って凄いですねぇ。
とても興味深い発表ばかりで感嘆の溜息がでます。
教授陣のツッコミにものともせず、すらすらと答えてましたよ。
自分らも同じレヴェルでやらなきゃと思うとあきそうですよ、
穴が、胃に。
さてさて、修論のことについてはきっと
Han-zo辺りが書いてくれると思うので(面倒なことは人にパス)
自分は別の話でもしやしょうか。
皆さん、おそらくはShasやHan-zoの記事を楽しみに
このブログをを観ていると思います。だって俺の記事アクセス数多くな…
来て自分の記事しかないときはきっと残念でだって俺の記事アクセス数多くな!
特に、Shasはここの所シャバいみたいですねぇ。
まぁShasは何時だって忙しくないときなんてないわけですが。
しかし、まぁ彼も忙しいのです。
や、自分も忙しいんすよ?
そこは、要領よくといいますか、ぶっちゃけ
三十六計逃げるにしかずなわけですが。
気にしたら負けです。
そのうちに溢れ出る情熱(パトス)を抑えきれずに
すぐ顔を出しますよ。
しかし、それを待ちきれないというあなた。
そうっ!そこのあなた!!
たまには俺が真面目な話をしますっ!!
(この時点でちょっとノリが ぐはぁっ!
俺だってやれば出来る子なんですっ!!
(やらないから出来ない子とも言う)
諦めなければ夢は叶う………かもしれない。(不足の事態に備えた保険的伏線)
さて、今日は修論の発表会ということもあり
「情報の信憑性」というものについて
語ってみたりしやしょうか。
皆さんは、卒論やいわゆる研究というのは
どうやって初めるか知っていますか?
まず肝心なのは「何の何が何で?」ということからです。
学問とはWhyが何よりも重要となります。
疑問から全てが始まるといっても過言ではありません。
まずは、対象となる物体(自分らで言ったら、この生き物!とか)と、
それにまつわる現象(何でこの生き物はこんなことするんだろう、とか)
それに着目します。
ここまではいいでしょう。
その次に何をするでしょう?
実験?サンプリング?
仮説を立てると考えたあなた、なかなか科学っぽいですよ。
でもしなければならないのは、「情報収集」でございます。
事前にどんな研究が行われているか?
この現象を考える上で方向性を決められそうな研究はないか?
このアプローチを参考に出来ないか? etc.
とにかく事前の情報収集がこの先の命運を決めます。
決めるんですが……
……めんどくさいよぅ
記事探しても見つからねぇし、つかあっても読むの辛いし。
いや、文句を言っても始まらないのはわかってるんすけどね。
外来種とか日本になかったやつの文献とか何処探していいやら……。
ネットで調べようとしてもそれが何処まで正しいのか………。
はい、ここです。
ようやく冒頭の話に戻ってきましたね。
情報の信憑性というものはムツカしい問題なわけですよ。
ネットというのは信憑性の裏づけというものがとても困難ですね。
書籍の場合、本として明確に存在するという形で著者が記され
確かな形で責任が生まれます
(最近ではかなりいい加減なものも少なくありませんが
しかしネットの場合では、匿名性、
またデータの改ざんが容易(表示する内容の変更が容易)、
問題があったらすぐバックれることが可能ということで
簡単に虚偽の情報が流れます。
あ、別に皆が嘘をついてるって行っているわけじゃございませんよ?
ただ、世の中には確かな情報が少ないということも事実でありまして。
論文やら学術文献がそんなに偉いんかい?
そう考えたあなた。
結構凄いんすよ。
基本的には疑心暗鬼の世界っすから。
ちょっとしたら論旨の隙をネチネチと責めてきます。
クロスチェック(複数の資料、複数の方法で調査、検証すること)
なんかも大変ですしねぇ。
や、大事なことなんすよ。
そうやって細かな部分のミスも許さない形で積み重ねられていくもので
信用というものが築かれていくわけです。
だから性格が悪 げふん、げふんっ!
皆いい方たちですよ。
その点、自分もそうなわけですが、
ネットの情報というものは他の人の目を通すことなく
ストレートに情報がさらされることがほとんどです。
ブログのような形や個人サイトは特にそういうことも多いでしょう。
もちろん、わざと嘘を乗せるような人たちが多いとは言いません。
それこそ実益になりませんし。
ですが、それが本当かと言われたとき、胸を張って信用出来ないのも
確かな事実です。
勘違い、勉強不足、調べ間違い、主観、ニュアンスの違いなど、
ミスをする要素は限りなくあります。
人である以上それを失くすということは難しく
抑制する機構もない。
絶対的な信用を置くというのは難しいことでしょう。
ですから、情報の真偽を見抜く眼と頭を持つ必要になります。
論文やなんかでもそうなんですよ。
必ずしも正しいとは限らないっすからね。
その時点ではそれが正しいと思われたことが、
新たな発見などで大きく変わることがあります。
ですから、常にそれが正しいか
疑って掛からないといけない世知辛い世の中なわけです。
ま、そんなことを言ってもネットを利用するわけなんですけどね。
そこら辺は情報の重要性というもので。
レシピの検索とかは便利ですからねぇ。
最終的には自分なりに工夫したり、面白い方法だけ参考にしたり。
正しくないから!と何でもかんでも否定するのは、
それはそれでつまらない上に有用的ではないし。
そこら辺は臨機応変に使いこなしましょう。
一番問題なのが、何でも鵜呑みにして
それを否定されると非理論的に怒り出す方とか。
面倒ですねぇ、単一主義といいますか。
勝手に信用して勝手に失望するんですから、
お偉いことですよねぇ。
消費者根性が染み付いているんでしょうか?
蜜柑★「あぁ、あいつらは酷いよなぁ。自分の頭の悪さを棚に上げて他人に責任を
擦り付けている。
気づかないのかねぇ、それが自己の愚かさをさらけ出しているだけだってことに」
……失礼しました。黒いのがドゥルッっと出てしまいましたね。
愚痴をこんなところで語っても、それこそ非生産的です。
もっと楽しいことを話しましょう。
まとめとしては、情報を出す側も受け取る側も
その情報が正しいのか?ということを考えることが何よりも大事、
ということになります。
自分としても、微妙な薀蓄を挟むあたり、
出来るだけ間違いのないように情報を確認しているわけですが、
必ずしも正しいことだけが書かれていると限りません。
もし、ここ違ぇーよ、バーカバーカ!ということがございましたら、
是非仰ってください。
たまに上辺だけを取り繕って、なぁなぁと相手を褒めることが
いいことだと思っている方がいらっしゃいますが、
間違いを間違いだと指摘することは
必ずその人のためになることだと思います。
もちろん、そこに主観のみではなく、個人なりの
論理的思考が付随していること、
それが相手を傷つけるかもしれないという覚悟を持つことが
最低限必要になりますが。
人は傷つかずに成長することなんて出来ないと思うわけです。
免疫系が、病原菌の侵入により発達していくように、
丈夫になるにはそれなりに怪我をしなきゃ。
度を過ぎれば死んじゃうわけですが、そこは加減が必要ですね。
少なくとも、自分が尊敬する人たちが、
お互いの意見をどうしようもなく攻撃的言い合って、
それを機会に親交を深めたという前例があります。
こういう丈夫な人(笑)ばかりではないと思いますが、
腹の内を割らなきゃわからないこともあります。
割らなきゃなぁ………。
心も体も、お腹がぷにぷにだしなぁ………。
さて、本題からもずれてしまったところで、
ここら辺にしておきましょうか。
どうだ!俺だって真面目な話しぐらい
え?どこが真面目だって?
人から聞きかじったことを偉そうに語るんじゃない?
当たり前のことを言って悦に浸るのはキモイ?
う、うぅ………
や、ちゃうねん、おどけてまうのはくせやねん。
自分なりに噛み砕いてるって。
当たり前のことだって、一体誰が当たり前って規定するんだよっ!!
うわーん、チキショウ!
覚えてやがれ、次はもうちょいましな文章を書いてやるっ!!
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