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2008年03月08日

人に教えることは学ぶこと、そして僕にとって家庭教師とは

 Shasです。

 ダメ人間ながら恐れ多くも、家庭教師をさせていただいています。

 自分の教授の都合で休みをとったりとしながらも、
   ありがたいことに暖かい目で見守ってくれる家庭です。

 ……お子様が受験でないのもあるけど、時々、ものすごく申し訳なくなるなぁ。

 ああっと、脱線しましたが、家庭教師をしながら学んだことがたくさんあります。

 それよりも、僕にとっては、家庭教師をしながら救われた面のほうが、大きかった気がする。

 教えることは、学ぶことだよ。
―――ジェネラリストな師匠の言葉

 本当に、その通りだと思う。


 僕は決して、教えるのがうまいほうではないと思う。

 むしろ難しいこと考えて混乱させて、あとあと後悔するタイプなんだけど、

 でも、僕が去年教えていた受験生の子は、必死についてきてくれた。

 僕は叱るのが嫌いで、なだめすかしながら、語らいながらやってきた。
(僕は叱られると勉強できなくなる経験があったし、ジェネラリストな師匠によると、
 人の『攻撃的な態度』のあとにはβ波が出て、頭に物事が入らなくなることが分かっているらしい。)


 そして、合格してくれて、共に喜ぶ、笑う、嬉しさを学んだ。

 久しぶりに、その子と会って、長らく話したんだけど、

 小難しくても、僕が話したことは、無駄ではなかったみたい。嬉しかった。

 勉強することと感情はまるで関係ないことのように思われがちな気がする。

 だけど、それはとても大きな関係がある。

 嫌がっている子に教えても、びっくりするぐらい頭に入らない。

 最初にこの子にテスト問題を解かせようとした時、見ようともせずに『解けない』

 びっくりした。本当に、問題を見るのが『嫌』なのだ。

 分かる、分からない以前に、問題への嫌悪感の解除が最初だった。

 それに、親と喧嘩したあとの授業では、驚くほど勉強できなかった。

 一時間半の授業の内、一時間を感情を静めるのに使って、ようやく30分だけ勉強できた。

 う~~~~ん、と思う。勉強できない(しない)子供って、

 親や教師にまず問題があるのかもしれない、と勝手なことを思いました。

 考えてみれば、僕にとってもそうなのだ。感情が暴れているときは、勉強なんてできたものじゃない。

 君には、自分の感情や思考が人生のコントロールを奪うほど、
             パワフルだということを知っておいてもらいたい。

―――本田健『ユダヤ人大富豪の教え』より

 初めての彼女と付き合っているとき、僕は感情に振り回されて、若干おかしくなったことがある。

 感情は、ものすごいパワーを持っている。それは恋愛感情を経験した人は、特に分かると思う。

 そうでなくても、例えば『嫌悪感』のもつパワーなら多くの人が知っていると思う。

 嫌悪感は、『拡大する』。たとえば、本当に嫌いな相手だと、

 相手の言葉、行動、ひどいときにはただ身に付けていた、持っていただけで、

 『それ』が嫌いになるものだ。

 たとえ、その言葉が的を得ていたり、自分にとって有益であったとしても、

 嫌悪感によって汚染されているので、感情が行動を抑制する。

 ええっと、結局、抽象的な表現になってしまった。例えば……

 嫌悪している相手が、手帳を愛用していたとしたら、
  手帳を見るだけで相手を思い出すから、手帳は便利だけど使いたくない。

 こんなもんかな? 僕は手帳をつけられる性質じゃないので、別の方法でやりくりしてるけど。

 あるものを『きっかけ』にして『一定の嫌な感情』が喚起されること。

 これを臨床心理の世界では、『ゲーム』と呼ぶらしい。

(ゲームは勝敗、という決まった結果が出るから、こう呼ばれるんだって)

 これをまた名で、『汚染』と呼ぶ。だから、さっきの『嫌悪感の拡大』=『汚染の拡大』だと言う。
新里理春、講義『人間関係論』より

 解除する方法が色々あるらしいんだけど、僕には読んでもよく分からなかった。

 ただ、『ゲーム』の解除が重要だってことは分かる。

 僕が試して効果があったのは、『きっかけ』のイメージを変えることだ。

 文章に書き出すと、何度も繰り返して見れるので価値がある。
(人は忘れ、慣れる生き物だから!
 あと、状況を書き出すことで、頭の中で考えてるより考え易い。
 僕も書き出している中で、『あれ? なんで僕気づかなかったの?』て発見がたくさんあった)

 書くことは、正確な人間を作る。

―――ジェネラリストな師匠の言葉

 コミュニケーションには二種類ある。
自分の内面とのコミュニケーションと自分の外側とのコミュニケーションだ。

―――本田健『ユダヤ人大富豪の教え』


 『きっかけ』がもし自分にとって利益になることなら、その利益を書き出す。

 そしてその恩恵を眺めて、やっぱりもったいないな、と思う。

 そして、こんなこと(『嫌悪感など』)のために、この恩恵を無駄にしてたまるか!! と思う。

( 努力をして目標を達成するためには、何を攻略するかの条件付けと順序立てが必要だ、
 手帳はそれをするに最高の道具だ。
 こんな嫌な思い出のせいで、こんないい道具を使えなくなるのは、嫌だ!!)


 僕の場合、割とそれが効いた。何がよかったのかはわからない。

 文章にして書き出したことで、頭から吐き出したのがよかったのか、
 やっぱりもったいないと繰り返し思ったことがよかったのか。
 ただ、時間が解決してくれただけなのか。

 まぁ、感情というシステムは時間と共に風化する側面も、確かにあるからね。

『きっかけ』をできるだけ触れないようにしながら、風化を待つのも確かにゲーム解除の手だと思う。

 ただ、『嫌な気持ち』が生じたとき、簡単に逃げないことが大事なのだと分かった。

 僕らが思っている予想以上に、『嫌な気持ち』がさまざまな方法を制限している。

 僕のいまの生徒もそうだ。学校の数学の先生が『嫌い』だから数学が『嫌い』なんだ。

 やれば、出来るのに……。楽しいのに……。逆に英語の先生は好きだから好きなんだ。

 学校の先生って意外と罪深い?? 多人数制で大変なんだろうな……。

 そして、僕にとっての『嫌な気持ち』の代表例が、『劣等感』だった。

 どんなに優秀な手法でも、自慢話に使われると嫌いになってたんだ。

 だけど、やっぱり勉強してみると便利だし、段々その方法が好きになると、

 そんな感情はどこかにいってしまった。

 過去はなくなりません。過去とは闘ってください。そして、乗り越えてください。
―――水谷修『夜回り先生と夜眠れない子どもたち』よりShasの覚え書き

 そして、初めての彼女に振られたときに、僕を支えてくれたものの一つが、家庭教師だった。

 どうやって教えたらいいんだろう? 間違ったこと教えたらどうしよう?

 びくびくしながら、必死こいていたダメ人間を、僕の生徒は支えてくれた。

 分かった! できた! 伝わる嬉しさが、人間関係にびくびくしていた僕を癒してくれたんだと思う。

 僕はただ、あの子の話を聞いて、
 『今日、学校はどうだった?』『どうした、今日はいらだってるな』

 教科書にあることを読んで伝えて、間違えたら謝って、
『ほら、実はたいしたこと言ってないんだよ』『ごめん、この前の間違えてたみたい……』

 できないなら一緒に考えて、出来たらありがとうと言う。
『あれ? なんで間違えたんだろ』『やった、出来た! よくやった!』

 それを、しただけだ。何も特別なことはしてない。でもそれが、すごく僕を支えてくれた。

 あの子には、本当に感謝している。そして、『受かった、先生ありがとう!!』

 感謝される嬉しさを、教えてくれた。

 人は、誰かと人間的なつながりを感じたときに、初めて幸せを味わうのだよ。
―――本田健『ユダヤ人大富豪の教え』より

 初めてこの本を読んだときは、まったく分からなかったけど、

 実は、そうなのかもしれない。初めての大事な人と、初めての生徒と、かけがえのない親友が、

 それに、気づかせてくれた。

 まったく、ダメ人間のくせに、恵まれすぎだわ。
 
 嫌な気持ちには、必ずヒントがひそんでいるということ。
 感情が、ものすごくパワフルなものであるということ。

 色んなことに気づかせてくれた、

 この家庭教師の経験は、僕の原点の一つになると思う。

 つくづく思う。人生、実験中だ。

 らしく、やります。



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